「最後」の一枚、最初の一曲

壮大なオープニング

ドラムロールと、どこか不穏なオーケストラの音で始まるイントロ。

まるで歴史を題材にしたミュージカルや映画のオープニングかのような、荘厳な始まり方です。

これがロックバンドアルバムの一曲目とは。

再生した瞬間に驚く方も多いのではないでしょうか。

クイーン「最後」のアルバム

QUEEN【Innuendo】歌詞を和訳&意味解釈!何に挑戦し続ける?最期に伝えたい思いを紐解くの画像

アルバム「Innuendo」は、クイーンのオリジナルメンバーが四人揃って作った、最後のアルバムとなりました。

しかし、だからといって暗く沈むような曲ばかりが収録されているわけではありません。

優しく美しいバラードやハードなロック、可愛らしいポップスまで、多彩な音楽が詰め込まれています。

そんなアルバムの表題となったこの曲もしかり。

オーケストラのみならず、フラメンコギターのソロなど、バンドとして新たな試みも盛り込まれました。

一曲の中でも様々な展開を見せていく、ある意味“組曲”のような仕上がりとなっています。

この一枚、ひいてはクイーンというバンドの在り方を象徴するような一曲です。

タイトルの意味は

タイトルに冠された単語の意味は「皮肉」「当てこすり」

そこに込められた思いも含めて、読み解いていきましょう。

彼らが歩む道

世界が続く限り

While the sun hangs in the sky and the desert had sand
While the waves crash in the sea and meet the land
While there's a wind and the stars and the rainbow
Till the mountains crumble into the plain
Oh yes we'll keep on tryin'
Tread that fine line

出典: Innuendo/作詞:Freddie Mercury,Brian May,Roger Taylor,John Deacon 作曲:Freddie Mercury,Brian May,Roger Taylor,John Deacon

「空に太陽がある限り、砂漠に砂がある限り

大海の波が砕け散って大陸に届く限り

風が吹き、星が瞬き、虹が空にかかる限り

山々が崩れ落ち、平野になっても

そうさ、俺たちは挑み続ける

ご立派な道を行くんだ」

「fine」は「元気」「良い」という意味で耳にすることの多い単語です。

しかしそこから転じて「立派な」「けっこうな」という、皮肉を込めた意味を持つこともあります。

「細い」という意味もあるので、恐らく彼らが歩んでいるのはかなり進みにくい道なのでしょう。

けれど、それを皮肉って「上等だ、この道を行ってやる」とニヒルな笑いを浮かべている。

この世界に何があろうとも、それがどんなに困難であろうとも、挑み続けてやる

そんな静かな覚悟を持った姿を連想させます。

生まれ持ったものに抗いながら

While we live according to race,colour or creed
While we rule by blind madness and pure greed
Our lives dictated by tradition,superstition,false religion
Through the eons,and on and on
Oh yes we'll keep on tryin'

出典: Innuendo/作詞:Freddie Mercury,Brian May,Roger Taylor,John Deacon 作曲:Freddie Mercury,Brian May,Roger Taylor,John Deacon

「人種や、肌の色や、信仰しだいで

盲目的な狂気や、むき出しの欲にとらわれることで

俺たちの人生は、伝統や、迷信や、インチキの宗教に動かされちまうんだ

ずっと、ずっと、永劫に

そう、だから挑み続けようぜ」

最初のフレーズで挙げられる、人が生まれ持ったもの

それはおいそれと変えることはできません。

そしてそれを待ち合わせながら育った環境により、行動の元となる信条が形成されていくものです。

けれど人生の途中で、それに疑問を持ったとしたら。

自分の行きたいと思う道とはそぐわないと思ったとしたら。

そこから脱したり抗ったりするためには、茨の道を行くこととなるでしょう。

フレディの生きた道

QUEEN【Innuendo】歌詞を和訳&意味解釈!何に挑戦し続ける?最期に伝えたい思いを紐解くの画像

この歌詞で想起されるのは、フレディの歩んだ道です。

彼のルーツはインドにあり、ゾロアスター教を信仰する一家の長男として生まれました。

しかし「ファルーク・バルサラ」という本名を持ちながら、「フレディ・マーキュリー」という芸名を名乗ります。

映画でも描かれていますが、それは彼にとって、新しい自分になる一歩だったのかもしれません。

そして彼の生きた時代、性的指向の多様性は広く認知されていませんでした。

LGBTは現代以上に、強い差別の対象だったのです。

そんな中で、自分独自の信条に従って生きること。

それはやはり、通ることも難しいほどの細い道を行くような過酷な挑戦だったに違いありません。

"自分"を掴むために