パレード|BUMP OF CHICKEN official website
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寄生獣の世界がそのままPVに
藤くんの右手がパラサイトに寄生された?!
このPVを観ていて初めにびっくりするシーン。
それはきっと、藤くんこと藤原基央の右手に目玉がギョロリと出てくるシーンではないでしょうか?
まさか藤くんまでパラサイトに寄生された……?
「寄生獣」の内容を知っている人なら、びっくりした後に少し笑ってしまうかもしれませんね。
こういったシーンからも、「パレード」のPVが「寄生獣」の世界を再現していることが分かります。
そして、藤くんの右手が「寄生獣」の新一のように変形するシーン。
ここはCGの技術の高さにも驚きますね。
まるで映画を観ているようです。
映画の主題歌のオファーを貰う前から、「寄生獣」の漫画を読んでいたという藤くん。
「自分が新一のようにパラサイトと共生していくことになったら……」なんて考えたりしたのかも?
モノクロの世界が意味するものとは?
「パレード」のPVは、始終モノクロームの世界で作られています。
藤くんたちメンバーには多少色が見られますが、背景や動物たちは皆モノクロ。
実はこのPV、山崎監督はパラサイトの視点をコンセプトにして制作したそうです。
ということは、パラサイトの色彩感覚では白と黒の判別しかできないのか?
それともパラサイトが支配したことで、世界から色は無くなってしまったのか?
なんにしても世界がモノクロームになったことで、より荘重(そうちょう)さは増しているように思います。
特に人間に似た生き物でできた集合体が謎の球体に崩されていくシーン。
あのシーンの緻密(ちみつ)さは、見ごたえがありますね。
それにしても、あの謎の球体は何なんでしょう?
人間で溢れかえった地球をバラバラに壊してしまう、パラサイトの群集だったりして……。
意味深なシーンが多すぎて、考察し始めると止まらなくなってしまいますね。
寄生獣とリンクする歌詞
意味深なのはPVだけではありません。
「パレード」の歌詞も、意味深な言葉があちこちに散りばめられています。
映画のエンディングで流れ、続く完結編の期待をさらに膨らませた「パレード」。
妙な切迫感に襲われるメロディーラインが歌詞の意味深さをさらに際立たせます。
「寄生獣」の世界観と重なる「パレード」の歌詞に注目してみましょう。
緊張感と焦燥感
途中のまま 止まったまま
時計に置いていかれる
歩かなきゃ 走らなきゃ
昨日に食べられる
出典: パレード/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
これは1番の歌詞。
まるで誰かに追われているような内容ですね。
映画でも味わったような緊張感がこの歌詞にも表れています。
そして3行目の歌詞。
「~しなきゃ」と言っているのは、焦っているからなのでしょうか?
確かに映画でも、新一は敵対するパラサイトに”襲われ、逃げて、戦って”を繰り返します。
そして新一は傷付くたびに強くなっていくのです。
常に歩き続けなければ。
常に走り続けなければ。
昨日の弱い自分が命を奪いに来る。
そんな意味が込められているように感じます。
生きるために今日まで続けてきた様々なことが、列を成して自分を追いかけてくる。
だから「パレード」というタイトルが付けられているのかもしれません。
自我を失っていく恐怖
どれが誰 誰が僕 白黒の真昼
思考はどうか 自分かどうか
どこまでが本当か
出典: パレード/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
2番の歌詞では恐怖を中心に歌っているように思えます。
パラサイトに脳を乗っ取られた人間は自我を無くしてしまいます。
自分が自分でなくなっていくという恐怖。
脳を乗っ取られ自我を無くした人間なら、恐怖という感情すら持たないかもしれません。
しかし、新一は自我や記憶を持ったまま、体を作り変えられてしまった唯一の人間。
たくさんのもの失って、自分が変わってく様を恐ろしく思っていることでしょう。
変わっていく自分を受け止めきれず、疑心暗鬼になる新一の心。
それが故の「どこまでが~」という言葉なのだと思われます。
PVの奇怪な雰囲気と歌詞の持つ意味が合わさって、良い意味で不安感を煽られますね。