2019年1月29日に“辞職”
歌詞に込められた彼の思いとは?
2018年9月に突然、引退宣言をした若きミュージシャン、ぼくのりりっくのぼうよみ。
彼の最期のMVとして『僕はもういない』が2019年1月8日に公開されました。
過激な発言で注目を集めたぼくりりですが、彼の本当の思いはきっと曲に込められているのではないでしょうか。
今回はその思いを探るため、『僕はもういない』の歌詞を独自に解釈していきたいと思います。
ぼくりりとしての最期のMV
ニコニコ動画を彷彿とさせる映像
まずはMVをチェックしてみましょう。
ぼくりりは元々、ニコニコ動画で活動していました。
『僕はもういない』のMVは手描きイラストに合わせて歌詞が次々に登場するというもの。
とてもニコニコ動画風に見えませんか。
とりわけボカロ曲…ボーカロイドが歌っている曲のMVに似ていると言われています。
原点に立ち返ろうとしているのか、かつて歌い手だった頃を懐かしんでいるのか…
いずれにしてもこの映像は彼にとっては慣れ親しんだ表現方法でしょう。
MVにはご本人も実写で登場していますが、ラストの口を覆うジェスチャーが意味深です。
さらに、遺影のようなイラストや彼岸花など「死」を連想させるイメージが多く散りばめられていますよね。
ぼくりりラストライブのタイトルは『通夜・葬式』。
引退するミュージシャンぼくりりは名実ともに「死」を迎えるのだと言いたげです。
タイトルの『僕はもういない』も、立ち去るというよりも消えてしまうような印象を与えます。
全体的に厭世的な…人生が嫌になってしまったというような雰囲気が漂っていますね。
では、具体的に歌詞はどんな意味を秘めているのでしょうか?紐解いていきましょう。
あくまで独自に解釈したものなので、実際の作詞の意図とは違っているかもしれませんがご容赦ください。
歌詞を独自に解釈
あれだけ望んでいたことだったが…
盗まれてしまったアイデンティティ
焦げる千日 価値も何もない
夢見がちな少年の目は
いつのまに濁り 淀む
出典: 僕はもういない/作詞:ぼくのりりっくのぼうよみ 作曲:ササノマリイ・ケンカイヨシ・ぼくのりりっくのぼうよみ
引退発言を読んで推察してみましょう。
自分自身を自由に表現していたつもりが、いつの間にか他者によって自分自身のイメージが作り上げられてしまった…
ドッペルゲンガーのように自分にそっくりな…でも全く違う人物像が独り歩きしているように思えたのでしょう。
「偶像」と表現していましたが、ファンもアンチも本当の自分ではなく作り上げられたイメージへアクションを起こしている。
「それは僕なんかじゃない!」
そんな苛立ちが歌詞からは感じられます。
「千日」とはある願いを成就させるために千日間行う修行を意味する言葉。
「プロのミュージシャンになりたい」
そう願って努力してきた日々も無意味に思えるほどの現実に直面しているようです。
純粋な気持ちで目指していましたが、今やその気持ちもくすんだものへと変化してしまいました。
一生懸命に綴った言葉たちは色あせていた
紡いできた言葉たちは
色を無くし 乾いたまま佇んでいる
輝いていたはずの過去が
笑顔でさらりと傷を抉る
出典: 僕はもういない/作詞:ぼくのりりっくのぼうよみ 作曲:ササノマリイ・ケンカイヨシ・ぼくのりりっくのぼうよみ
過去の歌詞に対しての思いを歌っています。
その時の伝えたいことを懸命に綴ったはずなのに、それらは今や顧みられることもなく風化している…
次から次へと作品を発表しても、充分に消化されないまま流されていってしまうというような状況を示しているように感じます。
きっと作り手側からするとじっくりと作品を味わって欲しいところなのでしょう。
ライブ映像やMVには、そうした状況に気づいていない楽しそうで生き生きとした自分が映っていたのでしょうか。
それを見ると余計に辛い気持ちになるようです。
自分の心に嘘はつけない
想いを隠せば
無かったことに出来ると思ったの?
心はそんなに器用に出来ない
分かってるだろう
出典: 僕はもういない/作詞:ぼくのりりっくのぼうよみ 作曲:ササノマリイ・ケンカイヨシ・ぼくのりりっくのぼうよみ