BUMP OF CHICKEN「HAPPY」ってどんな曲?

自分の誕生日、楽しみですか?

【HAPPY/BUMP OF CHICKEN】深淵なる歌詞を覗き込む…。意味解釈&アルバム情報も!の画像

2010年4月にリリースされたBUMP OF CHICKEN(以下、バンプ)の「HAPPY」。

この歌には、歌詞本文だけでなくコーラスにも、

Happy birthday

出典: HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

というフレーズが登場します。

とは言え、バースデーソングとして作られたわけではないというのは有名な話。

さて、いやがおうにも毎年やってくる自分のバースデー。皆さんは楽しみですか?

幼い頃はたくさんの人が祝ってくれて、たくさんのプレゼントももらえて、嬉しくて楽しい気持ちに溢れたバースデー

大人になった今、祝ってくれる人も少なくなり、「あまり楽しみじゃないな」という人も多いのではないでしょうか。

もう、正直、今を生きるのに必死過ぎて。

だけど、そんな毎日を生きているからこそ、自分の誕生日だけは「生まれてきて良かったな」と思える日にしたい

そんな気持ちが「HAPPY」には込められているように思うのです。

「HAPPY」の歌詞の意味とは?徹底解釈

『戦場』のような日常を生きる

健康な体があればいい 大人になって願う事
心は強くならないまま 耐えきれない夜が多くなった

出典: HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

月日が経過しさえすれば、人は<大人>になることができます。

背は伸び、体重は増える。柔らかかった肌は硬くなり、だんだんシワが気になって来る。

そんな体に比べて、が勝手に成長するっていうことは、あまり無いことのように感じます。

『もっと強くなりたいのに』

そう願いながら、体だけが大人になった。

歌詞の語り手である"自分"には、誰にも救えない心の傷があるのでしょう。

そして、大なり小なり、人には誰でも『自分だけが分かる心の傷』を持っているものです。

少年はまだ生きていて 命の値段を測っている
色々どうにか受けとめて 落書きのような夢を見る

優しい言葉の雨の下で 涙も混ぜて流せたらな
片付け中の頭の上に これほど容易く日は昇る

出典: HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

心の傷を負った生活を例えるなら『戦場』ではないでしょうか。

どこから弾丸が飛んで来るのか?

どこに地雷が埋められているのか?

倒すべき敵がいる場所は?

神経を研ぎ澄まし、すり減らし、周囲を窺い、疲弊しながら戦って、生きる。

心の傷と共に生きる生活はそんな毎日。中には『もう生きていたくない』とさえ感じてしまう人だっていますよ。

そんな生活の中で、<少年>は<まだ生きて>います。

<少年>とは"自分"の分身であり、心象風景の中では兵士のような存在。

そんな彼が<命の値段を測っている>。<色々>な重荷を<どうにか受け止めて>、なんとか生きている。

ここからは『生きる意義』を何とか見つけようとしている姿勢を感じます。

悲しみは消えるというなら 喜びだってそういうものだろう
誰に祈って救われる つぎはぎの自分を引き摺って

戦う相手さえ解らない だけど確かに痛みは増えていく
教わらなかった歩き方で 注意深く進む

出典: HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

『時間が経てば、悲しみは消えるよ』こんな慰めの言葉、よく耳にしますよね。

もしそれが真理なら……悲しみと同じ感情に分類される喜びだって消えてしまうんだろう?

そう言い返してしまう、心が<つぎはぎ>の"自分"。

"自分"には、心の傷を手当する方法が分からないのです。

もはや<戦う相手さえ解らない>

だけど、ここは『戦場』で、傷を負って<痛み>を感じる事は確かだから……<教わらなかった歩き方で 注意深く進む>。

ここまでに描かれているのは、戦場にいるような気持ちで日々を生きている"自分"の姿なんです。

『死ぬ勇気』を『生きる勇気』に変える

膨大な知識があればいい 大人になって願う事
心は強くならないまま 守らなきゃいけないから

少女はまだ生きていて 本当の事だけ探している
笑う事よりも大切な 誰かの手を強く握って

出典: HAPPY/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央

心自体が強くならないのであれば、そのままにしていたら傷ついていく一方。

だから<知識>を鎧代わりに、心の防御力を上げたいと思っているんですね。

確かに、人よりたくさん知識がある人は一目置かれますし、知識自体が武器にもなります。

<守らなきゃ>。傷つく一方だったら、最終的には心が死んでしまうから。

ここで登場する<少女>は、<少年>と同様に<生きていて>、<笑う事>も差し置いて<本当の事>を探しています。

それは『戦場』で"自分"を守るため。

そして、戦い続ける<少年>の<手>を強く握り続けるために。