救難信号を発しているのは誰?
君に嫌われた君の 沈黙が聞こえた
君の目の前に居るのに 遠くから聞こえた
発信源を探したら 辿り着いた水溜まり
これが人の心なら 深さなど解らない
呼ばれたのが 僕でも僕じゃないとしても
どうでもいい事だろう 問題は別にあるんだ
出典: メーデー/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「君に嫌われた君」「僕に嫌われた僕」という歌詞が示しているとおり、救難信号を出しているのは「君」であり、「僕」です。
一番では「君」を助けに行きますが、二番では「僕」からも救難信号が出ていることに気づくのです。自分自身に嫌われた自分というのは、とても孤独ですよね。
世界の中で、自分以上に自分を理解してくれる人なんていませんから。
自分に見捨てられたら、誰も頼れず、孤独に震えてしまいます。それはつまり、気づかない内についていた傷とも言えるでしょう。
息は持つだろうか 深い心の底まで
君が沈めた君を 見つけるまで潜るつもりさ
苦しさと比例して 僕らは近付ける
再び呼吸をする時は 君と一緒に
出典: メーデー/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「君」が見捨ててしまった本当の自分を助けに、「僕」は深い心の底へと潜ります。見つけるまでは、助け出すまでは戻らない。そんな覚悟を決めて。
「君」と一緒に生きたい。切実な思いが伝わってきますね。
僕もまた同じ様に 沈黙を聴かれた
君もまた同じ様に 飛び込んでくれるなら
口付けを預け合おう 無くさずに持っていこう
君に嫌われた君へ 代わりに届けるよ
誰もが違う生き物 他人同士だから
寂しさを知った時は 温もりに気付けるんだ
出典: メーデー/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
二番では、「僕」を探しに「君」が潜るようです。同じ様に、本当の自分を押し殺してしまっている二人だからこそ助け合えるのでしょう。
口付けとは、自分への愛情でしょうか。本当の自分を迎えに行くための大切な鍵なのでしょうね。
メーデーは心の叫び
勇気はあるだろうか 一度覗いたら
君が隠した痛み ひとつ残らず知ってしまうよ
傷付ける代わりに 同じだけ傷付こう
分かち合えるもんじゃないのなら 二倍あればいい
怖いのさ 僕も君も
自分を見るのも見せるのも 或いは誰かを覗くのも
でも 精一杯送っていた 沈めた自分から
祈る様なメーデー
出典: メーデー/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
ここで初めて「メーデー」が出てきます。心からの救難信号だったのですね。結局のところ、救難信号は自分から自分へ向けた物だったのでしょう。
自分の心を見せること、人の本音を知ってしまうことは怖いことです。でも大切なこと。心の叫びにどうか気づいてという、悲痛な思いがメーデーとなって「僕」と「君」に届くのです。
自分を再生する物語
響く救難信号 深い心の片隅
こんなところにいたの 側においで 逃げなくていいよ
触れた発信源に 届けるよ 口付け
君から預かってきたんだよ
勇気はあるだろうか 一度手を繋いだら
離さないまま外まで 連れていくよ 信じていいよ
息は持つだろうか 眩しい心の外まで
再び呼吸をする時は 君と一緒に
出典: メーデー/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
曲の中で「僕」は、互いの口付けを預け合い、預かったものを「君に嫌われた君」へ届けに行きます。それは、救いの手を差し伸べるということですよね。
もういいよ、大丈夫だよ。そんな声が聞こえてきそうです。そしてその口付けは、「君」から「僕に嫌われた僕」へも届けられるはず。
そして二人は一緒に、「再び呼吸をする」ために外の世界へと帰って行くのです。息は持つかな、間に合うかな、と不安を感じながらも、しっかりと手をつないで。
自分と向き合う歌詞の深さ
自分の心を迎えに
「メーデー」で歌われているのは、自分と向き合うことの大切さではないかと筆者は思いました。心の痛みや苦しみは、なかなか吐き出すことができないものです。
人前で弱音を吐くことに抵抗がありますし、自分が我慢すればと、ついつい無理してしまうことはありますよね。しかし、そうすると知らないうちに心が風邪を引いてしまいます。
そして、修復不可能なほどに傷ついてしまった心が決死の覚悟で声を上げたのが「メーデー」なのです。
最後は「こんなところにいたの」と心を見つけに行きます。やっと迎えに行けた大切な心。見失ってしまう前に、きちんと自分の心と向き合うことが大切なんですね。