「公認ラブソング」は3曲だけ
BUMPの曲で、藤原が「ラブソング」だと話しているのはたったの3曲です。
「とっておきの唄」「アルエ」そして「リリィ」ということになります。
では、他の曲は一切、恋愛を歌ってはいないのでしょうか?
そうではない、と筆者は思います。
たとえば「ゼロ」という曲には繰り返し、こんなフレーズが出てきます。
終わりまであなたといたい それ以外確かな思いが無い
出典: ゼロ/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
この歌詞を初めて見たとき、筆者は「自分が結婚するときにはこの曲を流したい」と思いました。
歌詞中の「あなた」を自分の大切な人と重ね、その人のことを思いながら聴いたのです。
しかし他の人が聴いたときには、この曲は自分自身の心と向き合う曲に聞こえるかもしれません。
あるいは、家族や友人など、恋人以外の大切な人を思い浮かべた人もいるでしょう。
余白がたっぷりと設けられているBUMPの曲ですから、ラブソングと捉えるのもまた自分次第というわけです。
想像の余地があるのは、物語性の強い「リリィ」も同じ。
次の項からその歌詞を見ていきますが、ここで紹介するのはあくまで筆者の解釈です。
叫び唄う主人公の心の動き
スポットライトの下 自分を叫び唄った
思う様に伝わらなくて その度にこぼれる弱音を
「今はマズい!」と慌てて その場は巧く隠して
真夜中 鍵かけた部屋 膨れたポケット 裏返すと
ホラ 出てくる弱音の数 1日分 想像つくかい?
出典: リリィ/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
ライトを浴び、ステージ上で唄う男性は、おそらくバンドマンでしょう。
あるいは、藤原自身の姿を描いたものなのかもしれません。
舞台の上でマイクの前に立つ自分は、オーディエンスの憧れの存在でなければならない。
そんな思いを抱きながらも、なかなか自分の心中を上手く伝えることができないようです。
彼がそのつらさや葛藤を吐き出すことができるのは、ステージ上ではなく、真夜中の部屋。
とんでもない数の弱音を吐き続ける彼ですが、それを受け入れてくれる存在がいるようです。
「かわいいヒトね」
ところが君は笑った 幸せそうに笑った
当然 僕は怒った 「真面目に聞けよ!」って怒鳴り散らした
それでも君は笑った 「かわいいヒトね」と言った
叫んでも 唄っても その一言には 勝てる気がしない
出典: リリィ/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「今日はここがダメだった」「全然うまくいかなかった」
そんな愚痴を零し続ける彼。
それを聞き続けるのは、彼を支える「君」です。
どれだけ弱音を吐き続けても、彼女は「かわいいヒトね」と笑うばかり。
肯定も否定もせず、ひたすらに彼の弱い部分を受け入れます。
そんな彼女の前では、どんな虚勢も意味を成しません。
ステージの上の自分とは全く違う自分を受け入れてくれる「君」に、彼は頭が上がらないようです。
見栄を張る主人公と、受け入れる「君」
低いステージの上 必死で格好つけた
自分もヒトも上手に騙し 夢を見て 夢を見せた
「大言壮語も吐いてやろう」 そういう歌も唄った
心の中 鍵かけた部屋 その歌が ドアを叩き続ける
「出てこいウソツキめ!」と 自分の歌に格好悪く 脅されるんだ
出典: リリィ/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
小さなライブハウスの、フロアとほとんど高低差のないステージ。
そこで彼は今日も、歌を唄っています。
「大言壮語も吐いてやろう」というフレーズは、BUMPの楽曲「バトルクライ」の一節。
メロディもそのまま、「リリィ」の中に引用されています。
やはりこの曲は、藤原自身のことを描き出しているのかもしれません。
力強い歌詞と、実際は弱い自分自身とのギャップに押し潰されそうになる彼に、救いはあるのでしょうか。
「そういうトコロも全部 かわいいヒトね」
彼の支えとなるのは、やっぱり「君」でした。
どれだけ弱い彼を目の当たりにしても、「格好いいよ」「かわいいヒトね」と受け止める彼女。
強くあろうとする姿も、己の弱さに絶望する姿も、すべて見つめた上で目をそらさずにいる強さを持っているようです。