沢田研二について
GS時代
1960年代後半といえば、なんといってもグループ・サウンズ(GS)の全盛期の時代でした。
その頃の若い女性の「キャー、キャー」という声と、グループ・サウンズのボーカルが歌う声は毎日テレビから聞こえてきました。
堺正章や井上順がいた「ザ・スパイダース」、ショーケンこと萩原健一がいた「ザ・テンプターズ」、野口ヒデトがいた「オックス」、そして、ジュリーこと沢田研二がいた「ザ・タイガース」
他にもたくさんのグループ・サウンズはありましたが、特に「ザ・タイガース」の人気は格別であった気がします。また、その中でも沢田研二はスーパースターでした。
後にソロで活躍しますが、沢田研二のデビューはグループ・サウンズだったのです。
1967年2月シングル「僕のマリー」でデビュー
セカンド・シングル「シーサイド・バウンド」で爆発的な人気を得る
1971年1月24日日本武道館にて解散
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B6%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%82%AC%E3%83%BC%E3%82%B9
ジュリー
沢田研二と呼ぶよりも「ジュリー」と呼んだ方が馴染みがあるような気がします。それだけ「ジュリー」というニックネームが呼ばれていたのかもしれません。
ニックネームが「ジュリー」になった理由は、沢田研二が「サウンド・オブ・ミュージック」主演女優の「ジュリー・アンドリュース」のファンであったことから自分でつけたことは、当時のザ・タイガースファンには有名な話です。
では、ここで沢田研二のプロフィールを紹介しましょう。
「沢田研二」
1948年6月25日生まれ
鳥取県鳥取市で生まれ、京都府で育つ
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B2%A2%E7%94%B0%E7%A0%94%E4%BA%8C
「サムライ」の衣装が...
左腕の腕章
「サムライ」を歌う沢田研二の衣装は衝撃的でした。革の軍服、しかも脱いだ片肌にはシースルーの刺青が...。
これだけでも驚きですが、左腕にはハーケンクロイツの腕章。これは何かと問題になり、物議を醸しました。
「ハーケンクロイツ」とは、ナチスが使用していたシンボルマークである。
出典: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%BC%E3%82%B1%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%84
ハーケンクロイツとは、つまり『卍』だったんですね。
どうやらこれらの衣装を決めたことに深い意味はなかったようですが、さすがに問題となったため、途中で『卍』は『×』に変更され、やがては衣装も変更されました。
「サムライ」
歌詞を解釈
では、「サムライ」の歌詞の意味について考えてみたいと思います。
まずは、「サムライ」をお聴きください。