「時間に負けない寂しさがあるから」という歌詞は、時間が過ぎて世間が「君」を忘れても、時間が過ぎた程度では如何にもならない「寂しさ」が「僕」の中にはあるから「僕」は絶対に「君」を忘れないという思いを歌っています。
また、「こんなに寂しいから大丈夫だと思う」という歌詞は強く寂しいと感じることで自分が生きていると実感しているようにも聞こえますね。
「僕」の気持ちを考えると、あまりの切なさに胸が苦しくなります。
「残る君の足跡」を感じる「僕」
瞬きの中 消えた稲妻
雨が流した 君の足跡
瞬きの中 手のひらの下
言葉の隙間 残る君の足跡
出典: 宝石になった日/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「僕」は冒頭の歌詞では何もないと歌っていた「掌」。
しかし、時が経って、「手のひらの下」に、そして、何気無い「言葉の隙間」に君が生きていた証を見つけ始めたのがわかるのがこの部分の歌詞です。
一瞬で消えてしまう稲妻のように振り返るとあまりにもあっという間に過ぎてしまった「君」との時間ですがそれは確かにあったということ。
そして、それがわかる君がいたという証は、「僕」の心の中に、「僕」しか見ていない瞬間として刻まれているものだったのです。
「僕」が生きることで「君」の生きた証が残り続けるという発見は救いになったのでしょう。
歌詞が進むにつれて少しずつ「僕」の気持ちが前に向いていっている気がしますね。
続きはどうなるのでしょうか。
「君」がいなくなった時が基準になっている「僕」の世界
増えていく 君の知らない世界
増えていく 君を知らない世界
君の知っている僕は 会いたいよ
出典: 宝石になった日/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
それでもやっぱり会いたいという強い気持ちが表れているのがこの歌詞です。「君」は死んでしまった後の世界がどうなっていくかは見られないから、「君の知らない世界」が増えていく。
また、逆に言えば、世界には次々と新たな命が生まれ、移ろっていくことで、「君を知らない世界」が増えていくということなのです。
「僕」も同じように「君の知っている」頃とは違う僕になっていくはずなのですが、「僕」はそれを拒んでいます。
だから「君の知っている僕は会いたいよ」という歌詞になっているのです。
「君」を忘れて、「君」の知らない「僕」になってまで生きていきたくない「僕」は、悲しみも苦しみも忘れないまま生きていこうとしているのです。
大切な人を失った「大きな寂しさ」を抱えて生きること
ひとりじゃないとか 思えない日もある
やっぱり大きな 寂しさがあるから
応えがなくても 名前を呼ぶよ
空気を撫でたよ 君の形に
出典: 宝石になった日/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「ひとりじゃない」と思って生きていこうとしている「僕」の姿が読み取れる歌詞ですね。
それでも、そう思えない日には、名前を呼び「君」を思い出している。
「大きな寂しさ」を抱えて生きることを決意した「僕」は、本物の強さを持っていると言えるでしょう。
「涙越えてもずっと君といる」という歌詞の意味
あの温もりが 何度も聴いた声が 君がいた事が 宝石になった日
忘れないから 笑っていける 涙越えても ずっと君といる
君がいた事が 宝石になった日
出典: 宝石になった日/作詞:藤原基央 作曲:藤原基央
「宝石になった日」の最初の歌詞では「涙越えてもずっと夢に見る」となっていた歌詞が「涙越えてもずっと君といる」となっています。
ここまでずっと「君」を失った悲しみを忘れてしまったら生きていけない、悲しみが生きている実感であり意味という「僕」の心情が描かれていました。
しかし、悲しみを乗り越えたって君を忘れずにずっと生きていくというメッセージが最後の歌詞で歌われています。
そんな、前向きになった「僕」の中にあるのは、悲しい思い出でなく、輝く日々の思い出です。
だからこそ、「君がいた事が宝石になった」のです。
「宝石になった日」という曲のタイトルの意味がここでわかりました。
これだけ深い悲しみから立ち直る歌詞にも、それを誰が聞いてもいいと思えるような楽曲に仕上げた事にも、それを可能にする演奏技術にも、BUMP OF CHICKENというバンドの凄さが表れていますね。
BUMP OF CHICKEN最新ツアー情報
そんなBUMP OF CHICKENのツアーが、今年の9月からまたスタートします。
9月16日の幕張メッセから来年1月28日のマリンメッセ福岡まで全国11箇所を回るツアータイトルは”BUMP OF CHICKEN TOUR 2017-2018 PATHFINDER”です。